子どもは、親の嫌なところほど似るものなのだろうか。
自分の嫌なところ、相方の嫌なところ…そんなところばかり目につく。そして、子どもを「叱る・怒る」ポイントは重点的にここに注がれていることに気づく。ヒステリックな沸点に達するときはいつもこのポイントが絡む。
子どもだってたまったものじゃないだろう。なぜなら親が「お手本」になっていないのだから。時に自分を棚に上げることも必要だが、棚にあげるにもほどがある。子どもだって、バカじゃない。気づくんだ、何が問題なのか。
「子は、親がするようにはするが、言うようにはしない」
子どもを育てるなんて、案外シンプルだ、きっと。しかも、残念なことに遺伝子で受け継がれている情報はくつがえることはない。
子どもは嫌なところほど似るのではなく、親は自分自身の嫌なところほど許せないだけなのかもしれない。だから目につく、気になる、嫌気がさす。愛する子どもだちに「そこが引き継がれている様子」が許せなくてヒステリックになってしまうんだ。
我が家では、子どもを叱っていると(子どもを介して)夫婦の問題が必ずと言っていいほど浮き彫りになる。自分の至らぬところ、相方の至らぬところ。子どもを責め、自分を責め、相方を責める。家中がマイナスの発想に支配されていく悪循環。
もう、やめよう、そんな叱りかた。そう思うが、なかなかそこから卒業できないでいる。
なら、逆に考えてみようか。嫌なところほど似ているのではなく、正確に言えば、嫌なところほど目につくだけだ。いいところだって、本当ならたくさん似ているはずなんだと。
ひとつひとつ、子どものいいところを声に出して言ってみる。みんな、私と相方のいいところにかぶっている。なんだ、みんなすごくいい子じゃないか。私だって相方だって捨てたもんじゃない。もう、自分のことを責めるのはやめよう、相方のことを責めるのもやめよう…と。
そんなことを書いていたら泣けてきた。泣いて、どっと忘れてしまおう。泣いて忘れて……忘れて泣いて。ん? それじゃぁ、一周しちゃうか??
だめだなそりゃ。でもいつか、抜け出すことを信じて。とにかくいまは、無理矢理でもひゃっほう…だぜ(涙)