次男の中学受験が終わった。2月3日入試を終えた次男は、清々しい顔をしていた。二人でお昼を食べながら、あれこれと試験問題の内容や、今までのことをふりかえる。次男は興奮しているようにも見えたし、落ち着いているようにも見えた。私は、相槌をうちながら話を聞く。
「塾の先生が話してくれたことなんだけど…さ。中学受験はすごく特別なことのような気もするけど、でも本当は通過点なんだって。1日とか3日とか意識せずに普通に勉強して、普通に遊んで、普通に生活して、それで試験を受けて、また中学校でも頑張れたら最高だって。そうあるべきだって。ボク、その話にすごく感動したし、共感したんだよね。」「結果はわからないけど、今日は、やりきったと思う。これでダメなら、しかたない。そんな気持ちかな」次男は、そう締めくくった。
我が家は次男の中学受験にあたって「2月3日に縁がなければ地元の中学校」という前提を決めた。1日や2日は受けない。四年生から四谷大塚のテキストで勉強してきた次男にしたら、いろんな葛藤があっただろう。塾の同じクラスの友だちで同じような選択をした子はいなかった。受かってもいかないから、受けてみたいと思う気持ちがあるんだと言われたときには心が正直揺れた。
でも、我が家はそう決めたんだ。経済的な理由はもちろんある。でも「いい学校」かどうかよりも、中学高校で本人がどう学びどうすごすが大事だということ。結果よりも学びに向き合う姿勢とよい学習習慣を身につけることを大切にしようと。
最終的に選んだ受験校は公立の中高一貫校。倍率も高く難関校だとされている。一筋縄ではいかない入試問題のため、私学向けの勉強と並行して、作文を書き新聞を読み解き、気の遠くなるような計算をこなし、過去問や類題に取り組んだ。塾の先生がたも、我が家の結論を全面的に受け入れてくださり、次男を支え引っ張ってくれた。
練習校の入試を一校1月に無事に終え、迎えた2月3日。発表までの数日は長かったけれど、桜が咲いた。
合格発表の朝、私は次男に言った。
「受かったらうれしいけど…。でもね、もし受からなくても、お母さんは逆にこれからの選択肢がたくさん増えてかえって、良いことなんじゃないかと思うのよ。だから、きっとどっちでもいい。本当にあなたはそれくらいがんばったと思うよ」
これは本心だった。受かっても受からなくても、どちらでも大丈夫。目の前には新しい道が広がっていると。
私は中学受験をゴールのように思っていたことがある。でも、あるときそうじゃないと気づいた。何かに踊らされるなと。で、スタートだぞ、と思ってきた。でも、違ったんだ。
中学受験はゴールでもなくスタートでもなく通過点だと次男が教えてくれた。
また子どもに教わったよ。次男よ、ありがとう。おめでとう。そんなこんなで、嬉し涙のひゃっほうだぜ♪