2010年にツイッターをはじめてほぼ5年。そのときどきの思いをログ代わりに使ってきた。嬉しかったことも、楽しかったことも、何かを自慢したかったときも、悔しかったことも、悲しかったことも、怒り狂ったときも、誰にも正直な気持ちが伝えられないときに、無責任にブツブツとつぶやいてきた。
以前私はツイッターについてこんなこと→『「ライフログ」ならぬ「気持ちログ」Twitter』を書いたことがある。
実際にツイッターは魅力的だった。この人ステキだな、と思える人たちにもたくさん出会えた。リアルでつながる関係もいた。いろんな力をたくさんもらえたこともある。
でも、昨年あたりからいろんなことが積み重なって、自分がしんどくなると、気持ちがエスカレートして誰にも面と向かっては言えないこともつぶやいたりしていた。その言葉に自分で自分を追い込んだり、大切な人を傷つけたり、傷ついたりもした。気になってスマホが手放せないこともあった。
これじゃぁ、子どもたちの手本になんかなれない。そう思って私は、自分のアカウントを閉じた。が、逃げるだけで終わりたくないとも思う。Twitterで出会って、これからもどこかでつながっていたい人もいる。
SNSにはすぐれた面もたくさんあるけれど、怖い面もたくさんある。刃物といっしょだ。
子どもたちにナイフの使い方を教えるように、道の歩きかたを教えるように、SNSの使い方を教える力が必要だ。が、自分はどうだろう。そんな力が果たしてあるのか。もし子どもたちがどんなふうにSNSを使っているか気になる人は、いろんな本も出ているので目を通してみるのもいいと思う。驚くような使われ方がされている。
いったんSNSから距離を置いてかんがえたくなった。
目指すは、誰も傷つけない博多華丸大吉の漫才のようなスタイルか?
違うか(w)違うな(w)
が、いつかはまっとうなつぶやき人になりたいと思う昨今。そんなこんなで、いまはモンモンちう。が、きっといつかは、ひゃっほうでありたいですな。。。