治らぬ病 1

頭頸部の腫瘍。去年の9月、母の癌が終末期であると医師から説明を受けた。いつ亡くなってもおかしくないと言われてから4ヶ月がたつ。この数日、水も食事も薬もほとんど喉を通らなくなり、時間の感覚さえ失われているようになった。

遡ること5年前。三男の七五三の祝いを目前に控えたある日の明け方だった。「大変なのよ、顔が痛くて…今、顔が半分おかしいの。腫れかたが普通じゃないのよ。どうしたらいいだろう」けっして私に弱気な姿を見せない母が、電話の向こうで珍しくうろたえている。すぐさま尋常ではない事態だと察した。

夜が明けるともに電車に乗って実家に向かう。ドアトゥドアで40分。近くとは言えないが、それほど遠い距離でもない。母の顔を見て驚いた。聞けば、半年ぐらい前から口内炎がひどくずっと治らないでいたという。そのうえ、顔にしこりがあるのだと。週に何度も会っていたのに、私は知らなかった。何も気が付かずにすごしていた。

私が仕事を続けてこれたのは、母のサポートがあったから。3人の子育てをなんとかやってこれたのも、母の存在をぬきには考えられない。孫可愛さに何かと世話を焼きたがる母に私は甘えていた。踊りの師匠である母は、お弟子さんの稽古、自分の稽古、専門学校の講師、家元の手伝い、所属するさまざまな会の付き合い等々…。しょっちゅう飛び回っていた。孫の子守りも買って出た。私が仕事の締め切りに追われていると、孫がかわいそうだと食事も作りにきた。本人の不摂生も確かにあっただろう。

だが、なんでこうなるまで放っておいたんだ。母が口内炎で通院していたという先生が何日か前に書いたという市内にある大学病院宛の紹介状まで出てきた。なんで、すぐ大学病院に行かなかったのか? じゃあ、その先生は顔のしこりに気づいていたのか? そのことを問いただすと、「紹介された病院に行かなかったのは忙しかったから」「先生は患部に一度も手を触れたことがないから知らなかったはずだ」とこともなげにさらりという。なんだそれは…なんでそんなに自分の身体に無頓着なのか。が、ここで母を責め立ててもしかたない。いろんな感情が渦巻く。

「私が母に無理をさせたのか、そのせいか…」「死なれたら困る」「もっと早くに私が気づけたはずだ」

調べれば調べるほど背筋が寒くなるような病気と症状が一致していた。どの病院に行くべきか。どの医者がいいか。母は動転し、父はただそばでうろたえている。とにかく、なんとかしなくちゃいけない。痛みと腫れが強いのだから、まずはとにかく早く病院で診てもらわなくちゃ。紹介状を手に市内の大学病院に急いだ。

※母のことを書こうと思いつつ、ずっと書けずにいました。いろんな出来事と思いがありすぎて、一度には書ききれません。きちんと整理するためにも、少しずつ書けるところから書き留めていこうと思っています。
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