子育て関連の本や雑誌では「やる気を育てる」って言葉がたくさんあふれてる。確かに「やる気」って言葉は、今はできない何かを可能にしてくれるような響きがある。
でもなかなかやる気をみせない息子。ため息まじりに、改めて「やる気を育てる」って、なんなんだろう?って考えてみた。「やる気スイッチ」とか、「いつやるの、今でしょ」とか、世の親は子どもをやる気にさせたくてたまらない。もちろん私も含めてだ。だけど…。
そもそも、やる気って育てられるものなんだろうか。子どもにしてみりゃ、大きなお世話だったりしないだろうか。
自分自身が子どものころも含め、学生時代、社会人になってからのことを振り返ってみる。
やる気になって本気を出すときっていうのは、自分自身がやる必要性を感じ、自分でやると決めたときだ。
確かに、やる気にさせる誰かがいたり、必要に迫られるような環境に立たされたりもしたが、それは決して誰かにお膳立てしてもらったことではない。ましてや私の親は、自分と毎日の生活のことで手一杯で、私たち子どものやる気がどうのとか正直何も考えていなかったと思う。
自分自身に限ってのことだけど、やる気になる前は、必ずモンモンとしたり、うじうじしたり、うだうだしたり、ぼうっとしたりして、苛立ったり、その不毛な感じに打ちのめされている時間があった。
強いて言えばその時間が私のやる気を育ててくれたのかもしれない。そう思えば、子どものやる気がどうのこうのと、気を揉む気持ちが馬鹿らしくなってきた。
やる気が出なくて一番悶々としているのは、親でなく実は子ども自身なんだ。殻を破れるのは子ども自身。悩む力こそ、ガソリンか。
外野が、やる気だなんだと、ヤンヤヤンヤと騒げば騒ぐほど、子どもの悩む時間を奪ってしまう。
今、私に必要なのは、そう思える心の余裕か。
悩め、息子よ。
そう、強がってみる朝。ビバ、やる気! どこからでもかかってこい
‼ ひゃっほうだぜ( ̄Д ̄)ノ