久しぶりのブログ。書かなくては気持ちの整理がつかない状況に限って、何も書くことができない。母としても、夫の相方としても、娘としても、仕事をしてても、なんだかつまずくことばかりの1カ月だった。通勤電車の中では、頭の中を空っぽにしたくて、ひたすらオセロを打ちまくったり。情けないなぁ。正直、ときどき母ちゃんをやめたくなったりする。「だめだなこりゃ。でも、そんな日がなければ、浮上もできないか」と、ひとり言。浮上のための撃沈期だと思えば心も軽くなるのか。
この1ヶ月で母の具合が一気に進んだ。母はよくも悪くも、私にとって特別な存在なんだと改めて思う。
実家からの帰り道、ふと母と手を繋いだ日のことを思い出す。たぶん、最後に手を繋いだ日のことだ。小学3、4年生くらいだったと思う。私と母はめずらしく二人きりだった。もう日も暮れかけていたころ、通りがかった近くの神社。薄暗い感じがこわくて、思わず母の手につかまった。二人姉妹の長女の私は、いつのまにか母と手をつなぐことなど滅多になくなっていた。久しぶりにさわる母の掌の感触が思ったより柔らかくて、やたらと恥ずかしかったことを思い出す。お母さんと手を繋ぐのはこれが最後かなと子ども心に思ったものだ。
もう一度、母と手を繋ぐ日はいつのことだろう。そんなことを想像するだけで涙のスイッチが入ってしまう。
満開の桜に足をとめる。あのときのあの神社の桜。この桜が、記憶のずっと底に沈んでいたあの日のことを思い出させてくれたのか。悲しいけれど、感謝。あのとき、私は確かに小さな女の子だったんだ。
桜よ、ありがとう。