74歳。母の誕生日だった。長いこと病気を煩っている母が、この日を迎えることができるかどうか…少し前まで正直わからなかった。
おそらく最後になるかもしれない誕生日。誕生会をしようという誘いに、母はとても喜んだ。夫と娘2人。娘の家族。孫の顔がそろって、母は嬉しそうだった。何かプレゼントを買っても使い道はあまりないだろう。色紙に母の顔を中央に置いて、私がみんなの似顔絵を描く。孫と娘たちがメッセージを添える。妹が、可愛い向日葵の小さな花束を用意した。
母は「宝物だね」と何度も繰り返して言った。
自分の死について他人事でいられるのって、いつまでなんだろう。隣にいる母の横顔を見ながら、そんなことをふと考える。いろんな感情が錯綜して、思考がストップする。
自分の死についてきれいごとをたくさん並べられるのは、自分の死が他人事でいられる間なのか…。他人事ではなく、自分のこととしてとらえるかを決めるのは、自分しかいない。死が近づけば近づくほど人は「生きたい」と思うのか。死に様は生き様というけれど、そうたやすくはない。
翌朝、母から電話があった。「ありがとう。考えてみれば、74年生きてきて自分の誕生会を開いてもらったのは初めてだということに気づいたわ。はじめての誕生会、本当に嬉しかった。みんなによろしく伝えて」と。喜んでもらえてよかった。
生きている時間を大事に生きなくちゃ。当たり前なことだけどとても難しい。
あぁ、そろそろ布団に入らねば。明日から子どもたちの学校が始まる。虫の音がますます秋の気配を感じさせてくれるじゃないか。何があろうと季節はめぐるのだ。
センチな夜にセンチな母。無理矢理ながらひゃっほうだぜ…